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シンデレラガールズ雑記(アニメ13話感想に添えて)

Twitterでもちょっと言ったが、今回のアニメ13話についてシンデレラガールズ未プレイの知り合いと大きく意見が割れた。
おおまかに言ってしまうと知り合いの主張は
「全員でのライブの成功に加え、NGの回復などなど感動するポイントが多すぎて、軸がはっきりしねえ(対訳)」
ということであったと思う。(違う理解だったら申し訳ない)

理解はできる。だが、コレに関して納得は全くできないのだ。密度詰め込んで結構、感動のポイントテンションマックス、あれやこれやでいいじゃないか。島村さんがアイドルを自覚し、しぶりんが夢を見つけ、本田未央はアイドルを喜び、神崎蘭子は仲間に心を表し、新田美波は支えてもらい、杏はバトンをもらい、プロデューサーは輪の中に入りetc.etc. 
ひたすらに30分間私のテンションはマックスであった。みくとりーなの振付の素晴らしさに泣いた。トライアドプリムスが出た瞬間すら心震えた。そう、皆がアイドルであった。全てが、idolだった。

このような理解の差を生んだのはなにか。アイドルに対する思い入れは1にあるだろう。シンデレラガールズではなく、僕らはひたすらに一人ひとりのキャラクターを理解している。だから、一人ひとりを見ることができる。
だが、おそらく最も大きな違いは、なんとなくだが、『アイドルマスターシンデレラガールズ』に対する意識そのものなのではないだろうか。アイドルマスターシンデレラガールズは総計200人以上のキャラクターがいる大型コンテンツである。だから、どんなに多くの流れを出したところで、アニメで出る人数が限られている以上、それはシンデレラガールズの一部のコンテンツしか再現出来ていないのだ。つまり、生まれつき不完全である状態なのだ。
NGを中心に据えるのは簡単だろう。でも、それではNGの物語にしかならない。シンデレラプロジェクトを中心に据えてもいいだろう。しかし、それでもシンデレラプロジェクトの物語にしかならない。シンデレラガールズというコンテンツのアニメ化というのであれば、全くもって足りない、足りないのだ。
勿論、それを切り捨てるのは致し方のないところで、『艦これ』や『ガールフレンド(仮)』のキャラクター採用システムはそのようにした部分がある。ただ、シンデレラガールズはその方法は取らなかっただけなのだ。彼らはキャラクターの多さに誠実に向き合ったのだ、その結果としての密度の上昇。人数が限られているからこそ、密度を上げることで擬似的な多さを作る。
だから密度の高さは全く苦にならない。それこそが僕らの見ていたシンデレラガールズを再現する方法だからだ。きっとそういうことなのだろう。

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